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懿公 (斉) : ミニ英和和英辞書
懿公 (斉)[いこう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

懿公 (斉) : ウィキペディア日本語版
懿公 (斉)[いこう]

懿公(いこう)は、春秋時代の第21代君主。桓公の子。
== 生涯 ==
:※特に注を付さない限り、『史記』「斉太公世家」による。
桓公と愛妾である密姫の間に生まれる。は商人。桓公の死後、斉公の座を争った公子の一人であるが、公位を継ぐことはできなかった。商人はひそかに賢士と交わり、人々に施しを行って支持を集めた。
紀元前613年5月、異母兄弟である昭公が亡くなり、その息子の舎が即位した(斉君舎)。しかし、舎の母は昭公の寵愛を受けておらず、舎は国人に軽んじられた。その年のうちに、商人は舎を殺害し、公位に即いた。『史記』によれば、商人は10月に衆とともに昭公の墓の上で舎を殺害し、自ら国君として立った(懿公)。『春秋左氏伝』が記すところによれば、舎の殺害は7月である〔『春秋左氏伝』文公十四年〕。懿公は公子元(懿公の異母兄)に斉公の座を譲ろうとしたが、危険を感じた元が拒絶するなど、国内がまとまらない状況があり、9月になって懿公が立ったことがに伝えられた〔。
懿公は公子であった時代、丙戎(『春秋左氏伝』では邴歜)という人物の父とたびたび狩りをしていたが、常に丙戎の父に負け続けていたため恨みを抱いていた。斉公になると懿公は、丙戎の父の足を切り〔「断足」。『春秋左氏伝』によれば懿公が即位したときに邴歜の父は既に死んでいたため、墓を暴いて遺体の両脚を切断した。〕、丙戎を下僕とした。また庸職(『春秋左氏伝』では閻職)という人物の妻が美人であったので、これを奪って後宮に入れ、庸職を驂乗(馬車の同乗者)に任じた。
懿公4年(紀元前609年)、懿公が申池に遊びに出かけると、陪乗していた丙戎と庸職も遊んだ。庸職が丙戎に「足切りの刑を受けた者の子供め」とからかうと、丙戎も「妻を寝取られたくせに」と言い返した。2人は懿公への恨みで意気投合した。懿公が竹林に遊びに出かけた際、丙戎と庸職は馬車の上で懿公を殺害し、死体を竹林に捨ててそのまま逃亡した。
懿公は即位後に驕慢となって人心を失ったため、斉人は懿公の太子を廃し、に亡命していた公子元を迎え入れて即位させた。これが恵公である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「懿公 (斉)」の詳細全文を読む




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